タロット占いではギャンブルについては占えないと、多くの占い師さんが掲げているのではないでしょうか。
タロット占いだけでなく占い全てに言えることですが、「当たるも八卦当たらぬも八卦」ということわざがあるように、占いは当たることもあれば当たらないこともあります。
なぜそうなのかというと、占い師も十人十色、使う人次第になっています。
そう言うと、中には外さない占い師さんもいそうと思いたい理想にかられますが、どんな占い師さんもみんな一緒の人間です。
能力を発揮するときに100%保証は難しいのではないでしょうか。
占いで一攫千金を狙うのが目的なら、当たれば楽しいでしょうが、外れれば楽しくないでしょう。
万が一毎回当たり続けていても、欲が出てこないのなら楽しめる回数も増えそうですが、一度でも外れれば「所詮占いだ」と人の感情は動くはずです。
欲が大きくなるほどに冷静な判断も難しくなり、労力を費やせば費やすほど、それが努力のように思えていつか実ると錯覚していきます。
ですが盲目になればなるほど、占いでお金を儲ける現実は遠ざかります。
地に足つけて現実が見えていなければ、引き寄せたい現実が何かも分からず、迷い続ける現実を作り続けてしまうからです。
私は日頃、タロット占いを自分以外の人にする場合「自分自身を見つめ直すヒント」として使わせていただいておりますが、自分のギャンブルで遊んだこともたくさんあります。
最近はもうずっとやっていませんが、タロットを覚えたての頃は毎週、家族が好きな競馬予想にタロットで参戦していました。カードを覚える練習にもなっていたからです。
そして結果は、当たることもあれば、当たらないこともありました。
ビギナーズラックという言葉がありますが、まさにその通りで、最初のほうが当たることが多く、その後は全くといっていいほど当たることが少なかったです。
当たると大体の人間なら欲が出ます。出しているつもりはなくても、タダで儲けるのは嬉しいし、すごいと言われるのも嬉しいし、「次も当たってほしいな」という願望と「当てないと」というプレッシャーに捕らわれてしまうのです。そんなつもりはなくても、です。
態度はいくらでも取り繕えますが、波動はごまかしがききません。
「当たった!嬉しい!次も次も!」というエネルギーは、その現実を遠ざけます。
先日ネット上で、とある占いサイトでポイント購入をすれば宝くじが当たる~という記事を目にしました。
その通りにしたけれど宝くじには当たっていないようで、ポイント購入した額が大きいようでした。
これについても、占いサイトのポイント購入と宝くじの当選確率にはなんのつながりも見つけられません。試験に受かるためには、もう少し勉強をしないと~というのとは違っています。
そういったつながりの見えないものを信じるのは難しいと思うので、きっと余程のことがあったのかもしれません。
賭け事では特に、一度や二度うまくいったとしても、どこかで不安が出るのが人間です。
もし、因果関係のないこれをすればこれが手に入るということを信じようとするのだったら、それをしなくてもそれはいずれ手に入るということを信じてみてもいいのではないでしょうか。
自分の人生に本当に必要不可欠なものなら、何かしようとしなくてもやってきます。
これまで、何もしてないのに訪れてきたことがたくさんあるように。。
やろうやろうと思わずとも気付けば努力していたことがあるように。
…このような説明で伝わるか分かりませんが、ギャンブルに占いは向いていません。
人の欲を知り尽くしている、あるいは仏のように全てを解放している…というようなことでない限り、占いに頼ってお金儲けをすることは不可能と思っていいと思います。
タロット占いでいうところの醍醐味はやはり、自分を見つめ直せるということだと思います。
無理に高望みするようなものでなく、今というその瞬間に焦点を合わせて、一段一段人生を歩んでいける力に気付くひとつのツールに過ぎません。
私は占いを誇張する気にはなれず、中立な取り扱いで人生が豊かになっていくのなら…という希望を持ってタロットとお付き合いをしています。
ギャンブルも日常の楽しみと等しく、うまくはいかないこともただただ楽しめたらいいのかもしれません。自分にとっての楽しめる範囲があって、その範囲の大小には個人差があると思いますが、
外れても楽しいからやっている、当たればより楽しい!そう言えるやり方が一番儲かりそうに感じます。
もちろん外れれば悔しい思いもすると思います。今も毎週競馬を楽しんでいる家族の「くぅ~悔しい!」のジタバタを見たりしますが、その悔しさは本当であっても、それもまた楽しんでるようにしか私には見えないのです。
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