タロットでも、「思いやりを大切に」というメッセージが出てきます。
「思いやり」と言われると、自分を抑えようとされる方がいらっしゃるかもしれませんが、
本当は不満たっぷりだとすれば、相手のために…と「我慢」するのはここで言う思いやりの意味とは違ってきます。
自分を抑えてその場がうまくいくような現実を経験していくうちに、「結局自分が我慢すればいいんでしょ」と思い込んでいくことにもなります。
でもそれは一見うまくいっているようでも、そうではありませんよね。
いつ爆発するかも分からない鬱憤をためているのです。
パートナー間のことであれば、パートナーもそれをありがたいとは思わないでしょう。
もし精神的にも支えあうパートナー関係を築きたいのなら、「我慢」はお互いに距離ができてしまう誤った思いやりとなってしまいます。
「思いやり」は相手に対してももちろんですが、自分に対してもなのです。
自分のことも思いやり、相手のことも思いやる。
自分と相手の主張が全く正反対なら、お互いを「分かり合うことに努める」のが思いやりとなります。
もし、「相手には何を言ったって無駄だ」と自ら身を引くのだとしたら、それは自分が望んでそうしていることを受け入れていることが前提です。
「相手のせい」でとる行動は「そうしてやった」という傲慢なものとなってしまい、自己完結できていないと、相手に振り回され、自分を見失っていくことになるからです。
私がタロットをしている中で、依頼者さんが辛いな…悲しいな…と感じているとき、それを軽くするためにやり方や考え方捉え方を工夫するよう出たりしますが、自分が楽になるなら相手を苦しめていいということではないので「思いやりは大切に」と出ることが多々あります。
ただし相手優位に扱うことが自分にとって耐えがたい時には、思いやりをもって素直な気持ちを表現してもいいのではないでしょうか。
例えば…ある彼女が、彼の家族に言われたことがショックでした。
一人で消化するのは難しそうで、彼に話して分かり合えるなら楽になれそうだけど、悪口みたいになると彼もネガティブな気分になるかもしれません。
そこで彼女は視野を広く(嫌な経験にのみ焦点を絞らず)、ありのままの気持ちを話すことにしました。
「家族の好きなところ、尊敬するところは変わりないんだけれど、●●と言われたことは受け入れられなくて…」と切り出し、彼は彼女の気持ちを分かってくれたようです。
分かってもらいたい人に分かってもらえることは本当に、それだけで安心しますよね。
でもそれにはちょっと勇気をもって「心を開く」ことが必要になります。
強がってしまうのではなく、策略でもなく、ただ素直になることが「おもいやり」とも言えるのかもしれません。
このように、誰かが我慢しなければならない状況というのは、もしかしたら思い込みかもしれません。
嫌なことが起きたときにはそれは単なる価値観でしかないと見破り、自分自身の希望に目を向けられますように。
もしどこかで「思いやり」のキーワードに触れることがあったら、それは安易に自分だけが我慢することではない…ということを感じてみていただけたらと思います。