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もう何も望まない

「もう何も望まないから、神様お願いします」とお願いしたことが、私には一度だけあります。

飼い猫が病気になって急激に弱り、手術と入院をしているときでした。

あの時は色々な背景もあり、助かってくれなければ自分を保てそうにありませんでした。

でもそう思うことは自分都合で、私の痛がっている心は俯瞰しながらも、猫にとって最善の結果になるよう、猫が早く楽になるよう、祈り続けた長い数日がありました。

能登半島地震ではペットが行方不明になってしまって、必死に探している方が全く同じことを言われているのを見ました。

「もう何も望まないから、どうか神様私の元に猫を戻してください」と。
(その後この方の猫は戻ってきています。)

いつしかの私と重なるほどによく分かる「もう何も望まない」。

この猫の出来事から数年経ちますが、おかげ様で猫の体調は良好です。

数ヶ月ごとの検査と、片側のみになってしまった腎臓を守るための毎日のラプロスは欠かせませんが、このまま老いてくれたらベストだということで、毎回先生と現状維持の結果にホッとしています。

そういうわけで、あの運命の分かれ道のとき、私の願いを叶えてくれたのかどうかは分かりませんが、どちらにしろ私は本気で神様に誓った約束を忘れるわけにはいきません。

そう、「何も望まない」ということです。

あの経験は私にとってあるべき経験でした。

思えば人は色々と望み過ぎだと思いませんか?

飽食時代と言ったりしますが、必要以上に食べてお腹を壊すことが普通になっているように、精神世界でも似たような事が起きています。

本来なくてもいいものにまで欲深くなり、あらゆる物や事象を手に入れて、失わないことには何が大切か分からなくなっている。

失って初めて気付くまでいかなくとも、手一杯にしなければ、失う前でも気付けるかもしれません。

こういう言い方をすると受け入れられない方もいるとは思いますが、この世は精神世界のゲームのようなもの。

目の前の現実に起こる物事は、それを経験しなければ学ばないという判断で起きていると言っても過言ではありません。

それは自分の魂が、その経験を来させていると言えます。

何ごとも精神的成長となるであろう道を選んでいけば人生は安定していきますが、精神的成長となる道は大変苦しい事もあるので、なかなか踏み切れないのではないでしょうか。

ですが、自分の身に起きていることは自分で起こしているのだから、そういう意味では乗り越えられるはず。

せっかくのチャンスをただ逃げてしまうと、さらに苦しくなり、ハードルも高くなり、残念なことになってしまうのです。

苦労を買う必要はないので、起きてくることは起きているままに受け止め、そのタイミングで味わいきる(終わらす)のが一番身の為。

精神的成長に目を向けるというのは「何も望まない」状態と似ています。我欲優先ではない道を受け入れられているからです。

「乗り越えられるんだ」ということを胸に、「何も望まない」「結果に期待しない」状態で真摯に目の前の現実と向き合えば、魂が望む未来へ進めることになります。

ちなみに私は人としての欲をなくそうとは全然していませんし、できません。

暮らしの中で簡単に叶うような欲は満たしています。

例えば◯◯が食べたいとかの食欲始め、睡眠欲なんかは特に多めに、自分ですぐに叶えられることはどんどん満たして楽しく過ごしています。

ここで言う「何も望まない」というのは、自分一人だけではすぐに叶えられないような事。

それは「今に満足していない」というところに自分をはめ込み、欲を深めることになりかねません。

今ないものは今の自分には必要のないもの、必要のあるものは自然な状態で在れば自然ともたらされます。

何かを手に入れようとして手に入らなかったのなら、あぁいらなかったのかなで済ませていけば道が逸れることもありません。

また反対に、今あるけど自分には良くないと思うもの、やめたいのにやめられないような依存している物事は、手放しにくいようになっています。

それらは向こうからなかなか離れてくれないから自分にとって必要な物事なのではなく、そこから自分の力で脱する為に依存させていますので、欲は満たされながらも苦しさを伴うのです。

その苦しさに見て見ぬ振りせず、欲で解決せず、勇気をもって手放す(自立する)ことが求められています。

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