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特別な人

一般より優れている、恵まれているという意味で使われる「特別な人」。

気軽に使う気持ちも分かりますが、優劣というのは、個々の土台も質も違うのですから、どうにも比べようがないものです。

つまり「この人は特別な人」「あの人は別格」と心底羨ましがるならば、自分を分かっていないから思えること。

誰でも経験する「嫉妬」は大チャンスです。そこには自分を知る材料がたくさんあります。

なぜなら興味のないものには嫉妬できません。

彼(彼女)に嫉妬するなら、それほどその人の事が好きだからというのもそうですが、相手に対する期待を抱いていませんでしたか。だとしたら期待を抱いてしまう自分を見直さなければいけません。

誰かの実力に嫉妬したときは、その能力が自分にはないと思うから。ならば自分の能力を否定するのはなぜか、認めるために取り組む必要があります。

誰かの境遇を羨ましいと思うのは、自分をおろそかにしているから。誰かの表面だけを見ているのも問題ですから、相手と自分の深くを知ろうとして、自分を受け入れるに努めていくことが必要です。

自分を知って自分の必要としているところに水を注がずに、自分が潤うことはありません。

被害者意識のある人は、「私はこんな大変な目にあったんだ」と言います。

聞くと内容は大変です。壮絶だったと思います。ただ、それくらい勇敢なことを乗り越えてきているというのもあって、自分を律するより被害者意識でいるほうの「楽さ」を覚えてしまいます。

私にも多少なり経験がありますが、「こんな目にあったんだ」と言ってるほうが楽ですよね。

ほぼ必ずと言っていいほど反応(同情や励まし)がもらえます。でも数回やってみてこれはいけないなと気付かされました。

相手のエネルギーで自分を保つ癖がつくので自力を失います。

この世には循環の法則があります。気も巡らせてあげなければ生命は活き活きできません。

活き活きできる自力は字のごとく自分から発して巡らせるのが通常です。

それが被害者意識は、相手のエネルギーをあてにする形になるので、循環の流れが逆になるイメージ。ですから周囲からの同情に溢れなければ生きていけなくなる依存体質になりかねません。

そちらからエネルギーをくれないと私は何もできませんとなります。くれくれ魔王になります。

特別扱いされることに憧れるのも、そのような状態になっているということ。

自力でいるつもりでも、他力を得ようとしている事に気付かなくてはいけないのです。

それは今も多くの人が「何かしなきゃいけない」と思い込んでいます。

何かを見せつけなければ誰にも認められない。尽くさなければ愛されない。お金を稼がなければ人としての価値がないと。

だから私たちの頭は「しなきゃいけないこと」でいっぱいになってしまいます。これが「足るを知る」ができなくなるトリックとも言えるでしょう。

「足るを知る者は富む」という言葉があります。

足りないものを見つけては満たそうとする欲求の中に、あなたが「これだ」と思うやりたいことはありません。

枯渇していきますから、燃え尽き症候群にもなりやすくなります。

「やりたいことがない」ならやりたいことがない状態でもいいのに、「自分のやりたいことが分からないから教えてほしい」というお悩みが多いのは、「何かしなきゃいけない」と信じ込んでしまっているから出てくる悩みに過ぎません。

何も起きてないなら何もしなくていいのが運命の法則にのるということ。

何か起きたら抗わず逃げずに真っ向から立ち向かえばいいんです。

もし数日空けられるなら、何かし出すまで「何もしないぞ」と決めてみましょう。何もしないでいられるのは数時間、おそらく一日あれば何かはし出すと思うのですが、それがやりたいことではないですか。

私たちが求めている“やりたいこと”は「気付いたらやっていること」「やらずにはいられないこと」くらいのこと。

もしそれ以上を求めるなら、それもまた使命という特別感がほしいだけではないでしょうか。

使命という魂の務めはあれど、それは先に得られるようなものではありません。やっていきながら使命となるのが使命です。

ですから気付いたらやっていること、やらずにはいられない程度のことが大きな力になり得ます。

実際やりたいことをやり続けているという人が継続できているのは、努力だけではなくて、そこにエネルギーやアイディアが溢れてくるからではないでしょうか。

傍から見てすごいなと思う人もただ「自分の運命に則っている」だけなのです。しいていうなら「それ」がすごいこと。

だからあなたが自分を知り、足るを知り、運命にのるのなら、なんら変わりはありません。

大富豪と貧乏人は人としてなにも違いがありません。結果ではありません。目に映るものだけに惑わされませんように。

よって誰も特別ではないのか、誰もが特別なのか、誰かが特別になっていたとしてもだからどうしたということです。

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