憎めば憎むほど、憎い相手から欲しい言葉は貰えない。
それが憎しみや恨み。
憎くて憎くて仕方なかったあるとき、
苦しくて苦しくてどうしたらいいか聞いて歩いた人がいた。
ようやく一人の人から、
「そんな事気にならないくらい、本当の幸せになるしかないよ」と教わり、
『それだ、本当に幸せになろう』と誓った。
本当の幸せになるには受け入れる事が必要だった。
受け入れるには感情を落ち着かせる必要があった。
感情を落ち着かせるには考える必要があった。
考えるにも材料が必要だった。
沢山の本を読み、沢山の人の意見を聞き、沢山のことを考えた。
情報過多になると、バランス力が問われ、中立を学んだ。
10年くらい経ってただろうか。気付けば幸せで、憎い相手の幸せも願っていた。
全ては自分の生き方次第。だけどそれは好き勝手に生きる事じゃなかった。
好き勝手やってるほうが苦しいと気付かなければいけない。
自分に用意された人生経験と自分の質を存分に楽しみたいなら、誰かの運命をコントロールしてはいけない。
もし自分の現実を生きず、地に足もついていなければ、自分次第はたちまち他人次第になります。
これのせいあれのせい、あいつのせい、あなたのせい…そんな事を思えるのは、自分から目を逸らしているに過ぎません。
そんな無責任で、当然自分を好きになる事なんてできないでしょう。
何が何でも己と向き合わないことには、憎くない自分には出会えない。
そう、憎いのは相手じゃなくて自分のことだから。