自然な形とは?

猫が腎不全で今は3日に一回自宅点滴をしています。
先日そんな話をご年配の方にしていましたら、ペットが可哀想というような目で見られたかもしれません。相手の本意は分かりませんが、私はそう感じました。
その方はペットを飼わない派と言えますし、育ってきた時代背景もあるであろうことは前置きしておきますが、人に飼われたばっかりに余計なことをされてペットは嫌がってるかもしれないとか、最後は自然な形で…と言っていました。
もしかしたら私が楽しく点滴の話をしていたから?そんな違和感もあったのかもしれません。
価値観は人それぞれですが、やれることがあるならやりますし、当然猫のことを一番に思ってるので、何も揺らぐことはありませんが悶々とはしました。
猫にも運命があると思っているので、上手くいかなくなればそういうことだろうし、そんなのも全然受け入れています。そもそも現時点までも全く思っていた通りになんてなってきていませんし、それを受け入れられなければ相手を一番にも思えません。
もう一つ気になったのが、病気の話になると深刻な顔をされることでした。
誰にでも必ず寿命があって、その終わり方もそれぞれで病気もよくある事だと思いますが、どうして健康な視点から見るのだろうと思いました。
と言っても気持ちは分からなくもないですが、今は病気があってこの猫の全て、ありのままなので、私は猫を深刻な目で見つめることはしません。
日に日に弱りを見せたり、衰えを見せたり、逆に元気な日もありますが、どんな風であっても「今日はそうなんだね、どんなんでも好きよ」と、そんな感じです。
それが今を大事にするということ、今の視点から今ありのままを見るのが今を生きることだと思うんです。
話は変わりますが、昔々年配者の身内が我が家の猫に向かって、「あらーやっぱり老けるんだねぇ、前もっと毛も艶々だったのにー(なんか残念ー)」と言ったことがありました。
当時の私はプッチンしまして、「同じこと言われたいですか?猫だから分からないと?猫に謝ってください」と言ったことがあります。
(そのあとごまかそうとしつつも「チエちゃん怖いねぇ…ごめんね、かわいいよ」と謝られてました。)
猫相手だからよく考えずに発言するところもありまして、でもだからこそそんな何気ない発言からその人の「恐れ」が色々と見えてきます。
最初の方は死へのこだわりが強そうでした。実際自分は延命されたくない等々お話しされていました。
後半の方は太って痩せない自分、老いた自分を否定していそうでした。
自分や運命を受け入れられないが為に、その感情の根っこを野放しにすれば相手目線の言葉は出てこなくなります。
自分の思い通りにできることだけを尊厳だと思ってしまうと、そうなっているという自分の運命そのものの尊厳を見落とします。
価値観は違ってていいんですが、だからなおのこと自分が気付くしかありません。
人に飼われているペットだから勝手に寿命を延ばされて可哀相と言うなら、人間も可哀相なものです。誰もが本来自分の運命には抗えません。
生きているうち、生が終わる最後の最後まで自分が何を思うのか学びの時間が与えられてます。
他者の寿命、自分の寿命を人間はコントロールできるという考えがあっては余計な苦しみを生むでしょう。
猫の介護もなかなか大変です。可愛いだけでは済まされないところもあるんだと思います。
尿やお口も臭くなりますし、腎不全では吐き出す水分も多いです。ゲロの量が大量になり一気に部屋中が臭くなります。木の部分だと早くしないと沁み込んでいきますし、お布団で吐いてしまうと全部洗濯しないといけません。
突然ドバっと、抑えられないように吐いてしまうことも多く回避しようがありません。
体調が変わりやすいので病院も常日頃、お金も何万何十万とかかります。
色々重なれば全然寝られません。問題が次々と見られ気持ちが休まらないこともあります。
大変なこともあるし疲れることもあります、そんなのは当たり前でそれが有難くもあり、そして可愛い。
言うまでもありませんが、これが病院もあり処置の内容も進んできている今の時代の我が家の飼い猫と飼い主の自然な形になっています。




