運命の相手に出会うなら運命の流れにのっていることは必須かと思います。
ですが運命の相手を求めながらも、欲望から運命の流れには逆らっている現状が多く見られます。
その原因と対策を書いています。
「運命の相手」には理想空想が行き交っています。
それは目で見て確認できないから成り立っているに過ぎません。
行き過ぎたロマンチックなことばかり信じる割には、執着して良からぬ存在に利用されるということは信じようとしません。
「運命の相手」も都合良く使われている言葉です。
私には、「運命の相手と結婚したい」としている人は、暗雲へ向かっている人が多いように見えます。
できることなら「運命の相手・ツインソウル・ツインレイ」などへの憧れは手放した方が身のためでしょう。
そのように相手を自分の駒のように見る視点は、大切なことを見失います。
運命の相手というなら、出会う人全てが運命の相手ではないでしょうか。
付き合う人全てが運命でなるべくして付き合っています。
結ばれなかったのならそれで良くて、出会ったということはその人との学びがあったということ。
似たような恋愛を繰り返して満足できないのは学びを活かせていないからで、気付くまでやらざるを得ません。
また、終わった相手との復縁を望むのは、せっかくの未来ある人生を後退させてるようなもの。
のちに復縁する運命なら執着する必要はないし、もうこれっきりの運命ならさっさと次に行けるでしょうから、終わったことは引きずらないことこそが、流れに逆らわず運命の法則に沿っています。
先に進めばまた新たな出会いがあり新しい学びが待っていて、そういった経験を通過していかなければ、いつまでもその運命の相手と出会えないのではないでしょうか。
でも後退したがる、させたがるのは、人の成長を望んでいない良からぬ存在にとってはとても都合がいいんでしょうね。欲望している人が扱いやすいでしょうから。
良からぬ存在とは、世界には成熟した人ばかりではありません。良き存在ももちろん沢山いますが、未熟な段階の人も沢山いますよね。
それらは未熟であるばかりに人の心を蝕む事に心も痛めませんし、自分の利益に夢中で相手のことなんてどうでもいいです。そういう存在のことを言っています。
そういうのとは関わらないし関わっていないと言われるかもしれませんが、良き者と見せかけるのが上手、感情を使って気を引くのが上手、その場限りの優しさで依存させるのが上手です。
こちらの関わる関わらないの気持ちの問題ではなくて、自分がどんなエネルギーを発してるかでいとも簡単に引きつけ合ってしまいます。
恋愛がうまくいかない人は、概ね自分にとって都合のいい恋愛をコントロールしようとしている状態にある人です。
執着しているような相手がいれば、その人とは理想通りの関係にはなれません。
あの人じゃなきゃ嫌だ。もっと愛されたい。自分だけを見てほしい。絶対奪いたい。
このような重く強引な力で引っ張ってきた相手と心穏やかな恋愛はできないでしょう。
仮に自分の相手となったとしても、無理にそうしてきた分の反動であなたの元を去っていくか、都合のいい扱われ方として体の関係のみ、不倫・浮気関係に留まるかで一向に「愛」は知り得ません。
それで「ひどい」と落ち込むのだと思いますが、ひどいやり方をしているのは自分であることに気付かなければいけません。因果応報、自業自得なのです。
自分の思うとおりに恋愛をコントロールすることにはたくさんの私利私欲があります。
その相手には何故惹かれているでしょうか?
沢山の例があると思いますが、自分の不足感から相手を選んでいることも多いのです。
ただ自分にとって相手が魅力的であるだけなら、相手を応援するだけ。喉から手が出るほど欲しがりません。
離れられないということはどうしてもその相手であなたの中の不足を満たしたいからです。
ですが実際、自分の中の不足を他人で満たすことはできません。
自分自身と向き合うのは苦行のようだと感じ、お手軽に都合のいい人で満たそうとしています。
ですから恋愛をコントロールすることになっていればそれは自らの怠慢でしかなく、そこからは程遠い「純愛」を都合良く解釈し、自分を甘やかしている状態となってしまいます。
執着や依存もどこまでいけばそうなのか、少なくとも相手に嫌われないように立ち居振る舞っていれば、その相手に依存し、関係性をコントロールしていると言えると思いませんか?
このように「運命」とは、なかなか残酷なもの。
厳しい事を書き連ねてきましたが、私も当然最初から気付けていたことではありません。
「恋愛」はロマンチックでもないし、「運命」は神秘的でもなく、とても現実的。
自分の感情どうこうではなく現実が展開されていき、それに逆らえば不幸が増し、ならえば自分の思う通りになんていきません。
ですので対策としては、恋愛に関する一切を良い意味で「諦める」のをおすすめします。下心もなくしましょう。
難しく感じるかもしれませんが、散々な目に合ってきたという人ほど簡単かもしれませんね。
もう自分が何をしたってうまくいかないんだということを思い知って降参してみてはどうでしょうか。
そもそも一人でも幸せになれます。「一人でも幸せになれるんだ」ということを覚悟できた人から、道は開けていきます。
「諦める」ことで「明らかになる」のは、仏教の言葉でもあるのはご存知でしょうか。
何が明らかになるのか、本来のあなたに必要なサポーターがどういう人であるのか現れてくるかもしれませんし、これまで自分が必死に求めていた人とは真逆のタイプの人が寄ってきてくれるかもしれません。
ただし、寄ってきてくれてる最中でもあなたはしがみつこうとしてはダメです。
何も期待しない、恋愛には何も期待しないんだ、自分だけでも幸せになれるんだから!と誓ったのですから、それを貫きましょう。
生涯一人だったとしても私は幸せに暮らしていく。だけど誰かが共に歩んでくれるならそれも嬉しいね。くらいが丁度いいということです。
その先パートナーができても「お互い自分の力で幸せになろうね」と言い合える、きっとこれが多くの人が求めてる、本当の意味での運命の相手なのではないでしょうか。
自分の運命がバージョンアップしなければそのようなレベルの運命の相手には出会えないのです。
ですから相手がどうこうなのではなくて、自らが成長しながら自立していかなければいけません。