↑先日ブログに上げていた恋人達のカードについてでしたが、アイコニック・タロットの本をめくると、なんとヴィスコンティとウェイト版の恋人達が掲載されていましたので、一部引用させていただきながら、「恋人達」についてもう少し学びを深められそうだと思い、まとめてみました。
まず、現存するタロットで一番歴史が古いのがヴィスコンティタロットです。(13世紀頃)
次にマルセイユタロット。(14~16世紀頃)
そして占い専用デッキとして改良されたウェイト版タロット。(19世紀頃)
これらの順に見比べてみましょう。
Card images are©Copyright TAROT OF MARSEILLE Mini, アイコニック・タロット
ヴィスコンティ・スフォルツア
目隠しをされたクピドーは、実際には愛がどれほど盲目であるか、また自身の選択が必ずしも自身の真の願望を反映しているとは限らないことを示している。
アイコニック・タロットP41より一部引用
クピドーとはローマ神話の愛の神だそうです。
マルセイユに登場する人物は3人なので、てっきりヴィスコンティもそうなのかと思いきや、ウェイト版と似た構成となっています。
ただしこちらでは愛の神に目隠しがされていて、恋愛における「目に見えない側面」をちらつかせているというのが、なんとも奥が深いと思います。
愛だと思っていたものが果たしてそうなのか、単なる欲望ではないのか、そんな問いかけをする必要性が感じられるのではないでしょうか。
マルセイユ・タロット
恋人は、我々を試練に直面させる。それはいつも選択を示すが、自由意志が各人の掟だ。
マルセイユ版タロットのABC P27より一部引用
マルセイユ版ではなぜか、純愛だけではないという気配が分かりやすいような、3人構成となっています。
見るからに三角関係をも示し、また、「快楽の道」と「真の愛の道」の二つの選択肢があることを教えてくれています。
一説では上の愛の神が矢を向けている方向が進むべき道であることを示しているとしており、中央の彼のハートに手を置いている女性が「真の愛の道」であり、「快楽ではない努力の道」となっています。
中央の人物は試練に直面していて、自由な選択権があります。どちらを選び何を経験するかは自分次第なのです。
ライダー・ウェイト・スミス
多くの場合、恋愛での「選択」として解釈されているが、裏切り、ないしは夢中になっている状態を示していることもある。
アイコニック・タロットP63より一部引用
アダムとイブのエピソードがありますが、その場面が描かれています。
エデンの園にいるアダムとイブの上部には、太陽を後ろに大天使が見守っているかのようです。
これまでヴィスコンティとマルセイユ版には現れなかった蛇の存在が女性の背後に確認でき、ここで示す蛇の象徴は悪魔の化身であり、誘惑を示します。
物語では食べてはいけないと言われていた実を蛇にそそのかされ二人は食べてしまい、
その後、裸であることが恥ずかしくなって葉っぱで腰巻をするため、裸であるこのカードはまだ罪を犯す前の純粋な状態を表しているのでしょう。
決断が求められている状態とも受け取れます。大天使のいる視点まで視野を高く持ち上げまともな判断をするか、恋愛における誘惑に捕われてしまうのか、ここからの選択次第でこれからの行いが罪にもなるということを教えてくれているかのようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
とことん恋人達のカードはロマンチックなわけでもなく、現実的な側面を匂わせているなというのが私の感想です。
もちろん質問によってロマンチックな示し(成就・結婚)になることもありますが、3つの種類のカードにあるように「選択」がメインの解釈となるでしょう。
完璧な人間はいません。選んでみないと分からないことがあります。
そして選んで分かったことがあるのなら、そこに甘んじるのか、勇気をもって脱出するのか、また選択が訪れます。
人生は選択の繰り返しであり、魂の視点で行動できるかどうか試練の場ともいえるでしょう。
快楽があればいいのか、愛の道へと努力で進むのか、その後に得られるものも当然変わります。
ところでこの「恋人達」のカードに真の愛を学ぶのだとすれば、まず、快楽の道ではないことはもうお分かりかと思います。
そして少なからず、愛の道のほうが大変で試練的で努力が必要であることが想定できます。
愛の道はなかなか面倒なことも多く、重たい腰も上がらない。だから「愛」なんですね。
「好きだから」「楽しいから」だけではとても乗り越えられない、苦労の上でさえ発揮できるのが「愛」。
大切なパートナーといつまでも仲良くいようとするなら、それもとてつもなく骨の折れる作業。
それぞれの「真の愛」がより見えやすくなりますように。