例えば、抜け出したい何かがあるとします。
仲間の輪だったり、会社の輪だったり、自我の欲望だったり、捨てに捨てられず握りしめている価値観が何かしらあります。
だから苦しくなります。
本当は手放したいのに手放せない。
親のこと、子供のこと、夫婦のこと、親戚関係のこと。
私たちの自我がやることってすごいですよね。
手放せないので、手放せない自分に喝を入れて正そうとするのではなく、手放せない状況を正当化した上で、文句に変えます。
「じゃあこうすれば?」と言われると、「それができたら苦労しない」と一蹴し、「ただ話を聞いてほしかっただけなのに」と真面目に言う。
知ってか知らずか積み重なっていく「できないことへの正当化」。
「私は悪くない」という足搔きも、「私が全部悪い」という開き直りも同じこと。
不満が募り、目の前の現実が暗くなり、希望を見失っているとしたら、
希望は見えかけていたのに「それができたら苦労しない」と隠してしまったのは紛れもなく自分以外にいません。
それでいいならそれでいいし、そうじゃないならそうじゃない生き方に進む覚悟を持つしか可能性は広がりません。
話が変わりますが、私は正直なタロット占いをしています。
それをずっとご依頼者さんには、「真摯に」と表現してきました。
「真摯にタロットの出た通りに伝えています」ということをしています。
なぜかというと厳しいメッセージが出ることもあるからです。
タロット占いは、傷を癒すものでもありません。どちらかというと、襟を正すようなもの。
人によっては「きつい事を言われた」と怒る人もいらっしゃいます。
カードが出てくる仕組みは、自分が引く場合でも、プロに引いてもらう場合でも、基本依頼者の放っている波動での必然と捉えています。
類は友を呼ぶように、自分の放つ波動(考え方など)が自分に合ったカードを引き出すということ。
私たちの現実もそうです。自分の捉え方考え方、意識していることやそれに伴った行動で次の未来が出来上がっていきますよね。
自分でカードを引けるならおすすめですが、もし自我の欲望が強すぎたら、都合のいいカードを引くか、もしくはカードは妥当でも都合のいい解釈をするかもしれません。
ともするとクリーンを極めているだろう占い師なら、いてもいいのかなと思います。
私がタロットをするときも、自身の普段の常識やなんかは置いておき、クリアな状態で取り掛かかります。
ですが私のタロット占いに任せてとは言えません。
私は友人に、「自分からタロットのこと話さないよね」と言われたりしますが、興味を持たれなければ興味を持つ必要がないからです。
聞かれてもいないのにわざわざ話に出すような重要なことではありません。
好きな人だけが扱えばいいでしょう。
今活動しているタロット占い師さんの中には、有名になるのが上手な人もいますし、たくさんの利益を得るのが上手な人もいらっしゃいます。
こう言うと私は違うと主張したいかのようですが、半分合っていて、半分違います。
私はというと有名になりたくもないし、利益は活動費用が賄えればというのと、お小遣いになれば素直に嬉しい。
利益を上げようとしなくても暮らしていけるのは家族のおかげであり、現時点でその必要もないからこの環境が与えられていて、私のやりたいように精神性を重視したタロットができるだけです。
占い・スピリチュアルのこの世界、利益を得ることしか考えていない人も沢山おられますから、かなりの注意が必要です。
ですがご依頼者さんも、自分の成長には目を向けず、目先の現実を良くすることしか考えていない人もいますので、ただ引き合うように似た者と出会い、騙されたとしても自業自得としか言えません。
自分で言うのも何ですが、お相手の精神的ステップアップにお手伝いできるか否かを意識している私は、ご依頼くださるリピーターさんの人間性、精神性はまともな方だと思います。
ここでいう精神性というのは、自分で気付いて、動いて、結果がどうであれ自分の責任に収め、自分だけでなく相手の心を守るほどに自分を律することができるか…ということ。
これを学ぶには当然、タロット占いに頼らなくても日常で足ります。
人生を動かしていく力があるのは自分以外にいません。
適したカードが出て、適したメッセージに変換できたとしても、本人の腑に落ちなければ次のステップには進めないのです。
そのためにすべてを知ることができない経験が用意されていますよね。
人生の中で知る必要があることなら、特別な行動を無理にしなくても、いずれ分かるようになっている。
事前に分かってしまっては学びにならないから教えてもらえないようになっています。
タロットをしてみても無難なことしか出ないことが全然あり得ます。
気付いているのに、気付きたくないから、気付いていないフリをしているうちに、気付いていることも分からなくなってしまい、占いを転々とされる方もいらっしゃるように見えます。
気付いているのに気付いていないフリをしていたら、それは現実が辛くてしょうがないでしょう。
自我が目の前の快楽にしがみついてしまい、本来の理性が機能していないのですから。
いつまでも自分を裏切れば、周囲から裏切られることを自ら望んでいることにもなります。
そのような状況で、そこから抜け出すときに必要なのは、癒しや励ましでもなく、「勇気」だったりもするでしょう。
もし厳しいメッセージがやってきたのだとしたら、襟を正すきっかけを自分が求めたのかもしれません。
人生では覚悟を決めて自我の欲望には振り回されまいと、一刀両断して現実を切り開くことも必要。
また「勇気」は振り絞るばかりでもありません。
気付いたことが正しければ、その辺のドアを開けるくらい自然なことでもあります。
表面的な感情は反応するもので、期待していなかったメッセージや予想外のメッセージにイラつくならそれは仕方がないこと。
肝心なのはその奥でどう感じているか。
図星だから腹が立つのではないか。
本当は嫌気がさしているのではないか。
もうやるべきことは見えているのではないか。
動き出すのは自分が気付いたとき。それが最高の道しるべ、最善のタイミングです。
そのチャンスになるかもしれないチャンスを、営利的印象や私の都合で応対するようなら、私がタロットをやる意味はどう考えてもないな…というのが私です。
タロット占いは気付きのきっかけになるかどうか。
自分がその気なら、気付きは日々の暮らしの中で十分得られます。
タロット占いやその他のツールに期待するのではなく、地に足つけて自分と向き合うことが、多くの人が求めている一番の近道になっています。