「良いとか悪いとかじゃない」
この言葉、私もよく使います。
必要のないタイミングで必要のないジャッジをしない為によく用います。
ですがこれを公のブログでこのように書いていた人がいたと。
「魂の世界では結婚とか不倫とかない。惹かれ合うなら自然なこと。地球のルールでの良いとか悪いではない」と。
これを、そうだよね!と思いたいのは不倫している人だけでしょう。
反対に、真っ当にパートナーを大切にしながら妻でありたい人、夫でありたい人がこれを聞いたらどう思うでしょう。
そんな事言ってるなんだか危うい人と、よりよい関係を築いていきたいと尽くすの馬鹿馬鹿しくならないでしょうか。
相手にしたくない部類になると思うので、結局「住む世界」が違うことになり、不倫する人の周りにはまともな人がおらず、不倫ループから抜け出しにくくなる罠のような言い回しです。
もちろん私たちは魂ありきの存在ですが、肉体を持っていて人間をやっていて、地上に生きています。
とりあえず、地球人で日本人なら不倫は悪いことですよね。
郷に入れば郷に従えでは?と。魂の世界のことは魂だけになったときに実行されては?…と思います。
地上の最低限のルールにならおうとすること、自分以外の身も心も大切にしようとすることが、人の成長となりませんか?
想像してみていただけたらと思いますが、ここに生きる他の人たちに思いやりを持たず、一人一人が自分の好き勝手やってうまくいくように思えるでしょうか。
好きなことをやるのと、好き勝手やるのとでは全然違うのではないでしょうか。
自分の魂からの感覚を受け取るくらいなら私も自信がありますが、「惹かれちゃったなら自分の旦那も相手の奥さんのことも考えなくていいよ。仕方ない。自分優先で行こう。」なんて。どう考えてもそんなお導き、きそうにないです。
「良いとか悪いとかじゃない」がこのように都合良く使われるのなら、「苦しいか苦しくないか」を目安にするのはどうでしょう。
不倫している人が「苦しくない」なら、不倫を楽しんでるということで、やめなきゃいけなくてもそのチャンスがないうちはどうにもなりません。
このパターンでは、救いようのないような事が起こりそうです。
ですが不倫をしている人が「苦しい」なら、それは自分にとっても「悪いこと」をしている自覚があるからです。
女性だと特に、その相手とは結ばれない運命だから苦しいと勘違いされることが多いですが、やってることが自分にとって間違ってるので苦しいのです。
潔く、その枠から出れば楽になりますが、怨念、執念、依存が紐を固く結んでいて、紐のない靴は寂しくて仕方がなく耐え難いと錯覚してしまいます。
そのためそれができたら苦労しないという言葉に置き換え、離れようとしない抵抗が起きていることがまさに、乗り越えるべき試練の特徴です。
男女問わず不倫は悪いことです。
魂レベルというならば、殺人と同程度の罪になるという捉え方もあります。
誰かの心を殺すことも考えられますし、苦しみながらもなお不倫にすがることは自分の心も殺していると言えるでしょう。
ですがいつも言わせていただいているとおり、目で見て確認できない情報に捉われるのではなくて、自分の現実とちゃんと向き合えば分かること。
不倫している自分、不倫している相手を愛せますか?
家族というぬるま湯に浸かりながら他に逃げ場所を作ってる自分や相手を心底愛せていると言うのなら、家族愛とはなんなんでしょう。
不倫状態で「愛している」はあり得ないと気付いてるのではないでしょうか。
不倫は、間違った欲求不満の解消に過ぎないと気付いているのではないでしょうか。
そうではないと言い張るのだとしたら、家族と離れ一人になってから、相手と決着をつけるでしょう。
相手が自分の所へ来なかったとしても憎まずに終われませんか。
それができない言い訳は全て、言い訳にすぎず愛ではありません。
愛は事象によって不足することもなければ、心に穴が開く事もありません。精神が不安定になりませんし、それらによって傷付くであろう人(家族)もいないことです。
「この世では不倫でも、魂で惹かれ合うなら良いも悪いもないんだよ」なんて、大体の人が確認しようのない魂を引き合いに出して不倫を後押しするようなやり方は、不幸へ招いているようにしか見えません。