「人生相談するときはその相手が幸せかどうかで見極めるといいよ」「相手が幸せでないのに相談者が幸せになれるわけがないよ」と言っているスピリチュアルに関係する人をたまに見かけました。
私はこれは理解しかけたところで、やっぱりあんまり理解できないんですね。
スポーツの世界でも、プレーヤーが向いている人と、教えるのが向いている人がいるように、幸せについての色んな事を知っていても、我が身の実践となるとまだ追いついていない人もいるでしょう。
そもそもですが、「幸せ」というのは常にあるテーマで、40歳あたりで「私幸せだからもう終わり」って事にはなりません。
その先も試練はくるし、学びはくるのだから、その時「幸せかどうか」で人を見極められるものじゃないと思っています。
例えば、そこに実はすごく苦しんでる人がいて、その人に惹かれても相談しちゃいけないでしょうか。
もしかしたら相談されることでその人の苦しみも和らぐかもしれないのに。
人生って助け合いですよね。自分だけが利益を得ることばかり考えていたら、本来の道筋は見えてこないだろうなと思います。
世間には恋愛とか人間関係とかで、「こういうときにはこう」という目を引くマニュアルじみたものがあったりしますが、やはり参考程度のノウハウでしかありません。
助け合いというと、なんかこう離れたくても離れられないみたいながっちりしたものをイメージされる方もいるかもしれませんが、そうではなく、とてもサバサバしています。
あとになって「私のこと見捨てるの?」とかってドロっとしたことを言うならそれはもう「助け合い」じゃない。執着なので助け合えません。
助け合いはお互い波動が軽くないと成り立ちませんから、たとえ自分がお金を払ってサービスを利用するであっても、助け合いの精神でいられたほうが自分にとって良い運が巡ってきます。
やった分だけやり返してと思ってしまううちは、何もしないほうがましでしょう。
もちろん、500円出して頼んだ通りのコーヒーとドーナツが出てこなかったらイヤですよ。笑
でも自分の感じが良かったにも関わらず、接客態度が悪いとか不快とかっていうのは、自分が鏡になっているだけでそこで被害者意識になる必要もないわけです。
そうやって“自分”を映し合って、助け合って生きてるのがこの世界。
世の中で言われていることとか、たくさん出ているうまくいく本とか、YouTubeで語られていることとか、頭のいい人が言っていることとかの「こういうときはこう」は、聞き流すくらいで丁度いい。
嫌な思いをしたくない、失敗したくない、恥をかきたくないなどの不安や恐怖心から、色んな知識を詰め込みたくなることもありますが、これがあんまり真剣に聞いてると自分の感覚がすごく埋もれてしまうんですね。
顕在意識で強くそれを聞いてるので、ちゃんと潜在意識に降りていき、とある経験がやってきたときに顕在意識では忘れてたけど、潜在意識に入れ込んでたので、自分の感覚云々の前に「この前誰かがこう言ってた!」と、瞬時に誰かが言ってた通りに行動するのです。
そういう時もありますが、そればかりではじゃあ自分って何?って思いませんか。
せっかくここまでなんとかやってきた自分の旅が一向に進みません。
外側の情報は本当に適度に、が大切です。
自分が感じることを優先して成功するから嬉しいし、失敗だろうが何だろうが自分の感覚で経験していくから生きがいとなるのではないでしょうか。