相性のいいパートナーは「運命だから」、二人仲良く過ごしていると思われるでしょうか。
なんの努力もなしに仲良くなれるなら「運命」にも甘えたくなりますが、実際はお互いに尽力しなければ良いパートナー関係は築けません。
人間関係には平和とか調和とかももちろん大事なことですが、カップルは特にぶつかることを恐れてはいけないように感じます。
ぶつかってぶつかって、「我」とか「こだわり」とかをそぎ落としていくから、二人の愛が磨かれていく。
みなさんはダイヤモンドの磨き方をご存知ですか?
ダイヤは鉱物の中で一番硬く、磨き方のひとつに同じダイヤモンドを使う方法があります。
(確か、ダイヤの粉末を使って研磨機で磨く)
硬いもの同士だから磨くことができて、あれほど輝くことができる。
(カッティング技術もありますが)
パートナー関係を築いていくのは、ダイヤモンドを磨くのと似ています。
時に傷つけ合いもするから二人の絆が輝けるのです。
もちろん実際夫婦をやっていると、揉めごと中はダイヤのことなんて考えられませんよ。
「け、何がダイヤだ綺麗事め」ってなりますけど、実際そうやって喧嘩したりしてるから角を落としあっていることは否めないでしょう、お互いに。
「ぶつかったら終わってしまうかもしれないじゃないか」という声も聞こえてきそうですが、「ぶつかる」というのは相手だけを責めるのとは違います。
心の声をオープンに二人の間に出す。
「そっちがこうしてくれたら!」の主張の下には、自分の満たされない思いが潜んでいます。
「ただ分かってほしかった」「ただ寂しかった」そういう自分の不足をさらしている相手に、めんどくさいとは思っても自分だけが責められてるとは感じません。
めんどくさいと思っても…と言いましたが、普通ならば面倒じゃないことのはず。もし自分がこれは大事なことだと思うことで、本音を打ち明けて関係が終わるのなら、それが運命です。
何でもかんでもぶつかることが正解と言っているのでもないですよ。ぶつかることを恐れないほうが二人の為につながっているということです。
例えば仮面夫婦ですとか、それにお互いが納得しているなら、そのように忍耐を鍛えるのもいいのではないでしょうか。
実際人間関係には適度な距離も必要。これまで距離が近かったことで距離を置くなら、それがきっかけで心の距離が縮まるかもしれない。二人で思いついた事ならやらずに終わるより、やってみたほうがいい。
重要なのは、実はそれに納得できていなくて本来言いたいことを自分の中に隠していき、隠したことを消化できなければ他に逃げ道を探したくなるのが人間だと理解しているかということ。
そのようにして邪道へ行くなら、そうではない方法を責任を持って見つけないといけません。
全てを相手に合わせて相手優先にしているような「彼がいいなら私はそれでいい」と言う方の中には、自分でも気付かないでその奥深くに、自分は満たされていないという憎しみや恨みを抱えてしまうような人もいます。
表面上だけで成り立つものでないのは、みなさんもご承知でしょう。
いい意味で諦めて、二人の間ではさらけ出すしかないんじゃないでしょうか。
夫婦のことは夫婦にしか分からないとよく言います。ものすごくその通りですね。
端から見たら簡単に仲良く幸せに続いているようでも、色んな葛藤、学び、成長があります。結婚というものひとつをとっても、私たち人間は結構大変なことしています。
相手に恵まれれば簡単に幸せになれると思ってはいけない。相手に恵まれても簡単に成し得られることじゃない。
相手次第でうまくいくのではなくて、自分の歩み次第。
結局自分と向き合わずして二人の関係に安住することなんてできないようになっているようにしか見えません。
ですが、苦しみも楽しみも共に楽しめる相手がいるというのは、ダイヤモンドの比ではない、何にも変えられない財産でしょう。