「これが成長のためというなら、何のために?」
結構前ですが、このようなコメントを見ました。
事の経緯は、ものすごい試練を受けているであろう人がいたので、それを見ていていたたまれなくなったのではないかと思います。
そのコメントには何万ものいいねがついていました。
そんな多くの人の気持ちも分かるように、世の中には、「どうしてこんなに一生懸命真面目に生きてるだけなのに」という人が、病気になられたり、大切な人を失ったり、被害に合われたりしていることもあります。
それだから「何のための成長?」と怒りも湧いてくると思います。
何のためか、これは目で見えるところで言うなら自分のため、目に見えないところで言うなら魂のためなんだと思うんです。
ですが、魂のためとなると、大体の人は確認ができません。
だからもし成長が止まるとしたら、自分が現状に満足していればいいんでしょというところで、その先に進めなくなっているのではないかと見受けられます。
ただし、成長しなくたっていいという保留状態も、いうならば運命に抗っている状態で、だから本人はむしゃくしゃして、また今の時代ではいくらでも気分転換する方法が溢れています。
楽しいことばかりやっていてもその中で「これでいいわけがない」と思う人もいるから、先に進む人も出てきて、
「現状に満足したフリだった」と気付いた人も、先に進もうと出てくる。
これはもう個人の感覚としか言えないですけど、目先の利益じゃなくて、魂の道を選んだということです。
冒頭の方も、成長せざるを得ない気配を感じるところがあるから、そのようなコメントが出てくるのだと思うし、何万もの人も共感するのでしょう。
私ははっきりと「試練からは逃げられないのね」と知るに至った経験が20代の頃にありました。
勤めていた会社に猫部さん(仮名:ねこべさん)という先輩がいました。
毎日色々なやりとりをしなくちゃいけず、猫部さんとは真向かいの席で関わらないという選択肢はありません。
当時の私ならプライベートなら絶対関わらないし、共感できることも少なくて、俗に言う自分とは真逆の苦手(だった)タイプ。
仕事だから90%くらいは合わせていましたし、相当取り繕ってしまってました。
最後は向こうから裏切りのように辞めていかれ、突然多くの仕事が降りかかってきて嫌な思いもしました。
次に私が転職した時、信じられますか?またいるんです猫部さんが。笑
同一人物の猫部さんじゃないですよ。同じ名前、見た目も人となりもすごく似てる猫部さんがいるんです。兄弟かと思いました。
私の教育係は猫部さんですと言われた時には嘘でしょ?と。でもそこではっきり分かったんですね。猫部さんは私の試練だったんだと。
二度目の猫部さんとはさらに距離が近づき、年齢も近づき、ハードル上がってないか?ということにも気付きました。
そういうことなら真っ向から立ち向かうしかないです。
先輩なので上手く立ち回ることもしましたが、私も自分のキャラクター全開で挑みました。
それはできるだけ素直に感情を出すようにして、自分に正直でいるようにしたということです。
この出来事で一番印象的だったのは、一度猫部さんに呼び出された時「この話で折れる事はできない」と心底思うようなことで、私はじっと曲げない態度を取りました。
「受け入れない」という意思を目力でも伝えようと、じーっと目を見て話を聞いていたとき、説得したいのに説得できなそうな私を前にして感情が高ぶってしまったであろう猫部さんが泣いてしまいました。
みんなそれぞれ、その人なりに一生懸命生きています。
猫部さんが涙したのは思い通りにならなそうだからだけではなくて、私の協力を得られないことが悲しくもあり苦しくもあったのです。それだけの重荷を猫部さんも背負っていた。
だから猫部さんも、プレッシャーやこうあるべき、マインドをコントロールするというのを手放す試練を迎えていたのではないかと感じます。
このように運命というのは、うまくマッチングされてそれぞれが学べるように仕組まれてくるもの。
成長せざるを得ないように作られていて、成長しない方向を選べばいつまでも終わらない。苦痛が増す。改めてやってくる体験のハードルが上がってく。
成長する方向を選べば、自分もワンランクアップしていくので、些細な事で楽しめる。感謝できる。
傲慢な人の近くにいたら疲れますが、成長できる人は素直で謙虚ですので、気楽にいられます。
単純に地球上にどちらの人間が増えたらいいかは…ここを読まれる方なら後者を選ぶ人でありたいと思うのではないでしょうか。
自分のためにも、周りのためにも、世界のためにも、私たちは自分について学ばざるを得ないところにいます。