我が家のスコが天へと

インスタでも言っていましたが、スコが旅立ちました。
状況は腎不全日記で残せたらと思いますが、当然ですが今、私にはいなくなった悲しみがあります。
生前にたくさん時間をもらって少しずつ気持ちの整理もさせてもらってきていましたが、家の中から唯一無二のひとつのエネルギーがなくなったことは、本当に寂しいです。
書こうと思えばたくさん連ねられるくらい、理性的な考えの引き出しもいっぱいありますが、この寂しさはどの引き出しを開けても埋められないことに気が付きました。
そこで、あぁそうか。こういうもんだよね。と思いました。
スコの揺るぎない多くの踏ん張りを見せてもらっていたので、より、肉体から解き放たれたことに祝福の気持ちももちろんあります。
そして心(魂)は想い合っているなという安心感ももちろんあります。
そしていなくなった悲しみももちろんある。
そういうもんだなと。
想いは通じ合える無限と、現実で触れ合いのできない有限、この構造があるからこそ経験できる深みですよね。
喪失感はこれまでの習慣の残響だとも思いました。
脳や体は数えきれない触れ合いの感覚を覚えています。
理屈を理解しようとも、心に穴があるような実感自体は紛れもない真実です。
だけど時を経ていくほどにそんな残響が薄らいでいき、無限の失われていないものが際立ってくるようになるんだと思います。
私の旦那さんは根っからのポジティブ才能がありますが、そのような人でも私がいなければ耐えられなかったかもしれない感情だと言っていました。
共に過ごしてきた中で受け取っていた重み、ペットは本当に無条件の愛を人にくれているからこそ感じる喪失感でもありますね。
ふと悲しみが襲ってきても、愛されていたことそしてそれに応える以上に愛せたことの信頼関係に救われるので、生きているうちを大事にできて本当に良かったと心から思います。
神社の神様にスコのことを話した過去もあったので、今日は、無事にそして最善の状況で旅立てたことの報告とお礼に行ってきました。
その後に引かなくてもいいけど、と思いながら結局引いたおみくじを見ると、命日の番号が出てまた涙。笑
二匹の猫達へのフォローもあるので切り替えに努めていましたが、しっかり心も追いついてきています。
また楽しく猫達と暮らしていきますよ!




