不倫相手とのご相談を受けていた過去、ふと旦那さんの話を振るとシャッターを下ろされる感覚がありました。
とにかく不倫相手の話をしているのが楽しそうだったので、急に現実に引き戻されたのが不快だったのかもしれないという見方もありますが、このような方達は共通して次のような事を言います。
「不倫相手と一緒になったら、それはまた違うんでしょうね。」
「ないものねだりじゃないけど、正式なパートナーになった途端に気持ちが冷める気がする。」
そしてまた、こんな事も言います。
「自分のことが好きになれない。自分なんていなければと思う。」
不倫のご相談をいただく場合、その親に「愛されなかった」と感じている人も多い印象です。
不倫している自分のことも好きになれないけど、自分のことを好きになれないのはそもそものこと。とりあえず必要とされる(愛されてる気になれる)不倫相手は距離もあって丁度いい。
そこで気付いた事がありました。
自分のことを尊敬できたり、好きになれないと「近くにいてくれている人」は好きになれません。だから遠くの距離のある人に惹かれます。
自分に対する嫌悪感が改善しない限り、遠くの人に愛想を振り撒き、近くの人には不機嫌な態度を見せます。
どうしてそうなるかというと、「近い人に自分が投影される」からです。
だから旦那の話をしたときに心のシャッターを下ろされた。自分と向き合いたくないからです。
大好きな不倫相手ともし正式に夫婦になったとしても、ご本人達が感じていたとおり、徐々に冷めていくでしょう。
自分に対する受け止め方を変えない限り、今の旦那に対する態度と同じ態度を取るようになる。
誰がそばにいても同じ。嫌いな自分と対面するだけだからです。
距離が遠いから「夢を見られる」ということに気付かなければいけない。
その状態で現実が夢のようになることは絶対にあり得ません。
正しいスピリチュアルでいうカルマの視点から見れば、不倫相手はその人にとっての憧れの職業に就いている事も多いと。
職業も相手も自分の手には入らない。そこでとことん悔しい思いもするようになっていて、極限まで執着させながら…まるで脱するのを試されているかのようです。
魂の道は時にすんなりと進むべき方へ導かれます。ですがこれは不倫には適用されていません。
不倫はカルマになりますので、自分の決意でそれをやめるのを待たれています。
簡単に乗り越えられるようなレベルでは魂の成長にならないので、強く強く相手に惹かれるようになっているようです。
ここに書いてきた流れに当てはまる方がやらねばならぬことは、不倫をやめ、「旦那」を大切にする人生を歩むことではないでしょうか。
立ち上がらなければいけない時の為に覚えておいてほしいのです。
不倫相手とお別れすると同時に、自分を好きになる努力が今後必要になるということを。
真っ当な道を歩きながら、旦那の為を思いながら、そういうやり方で自分の心を満たしていく運命が待っているということを。
誰かを尊敬するように、自分のことを尊敬できる自分になるに努めなければいけないことを。
そうしてもし旦那と別れなくて済んだのなら、これまで自分の投影でしか見てこなかった旦那を、「こういう人だから」と決め付けないでください。
それは今まで自分の曇った目で見てきた自分(旦那)に過ぎないのだから、何も偉そうに語れることはありません。
自分とは全く別の人間である「相手そのもの」を見ようとしてください。
それができなければずっと自分も見れないですから、「自分を尊敬できる努力」と「相手のありのままを見る」ことは同時進行でやるべきことです。
大切なことなので言い方を変えます。
旦那の気に食わない一面に耐えられないなら、それは全くの別人であるはずの旦那を、「もう一人の自分」としてしか見ていないからです。
そしてその自分を嫌っているから、相手の嫌いな面を拾います。
付き合ってる時や結婚当初は慣れ合っていないからお互いに尊重し合えていました。
心的距離が近づくにつれ自分を投影し始めただけであって、「相手が変わった」と言うのは、言い逃れに過ぎません。
なぜなら、相手(自分)を尊重しているならば普通はほっとけるでしょう。
責める事もなく、意見の食い違いがあるなら話し合う気にもなれるでしょう。
旦那の悪口で盛り上がるのは、自分の悪口を言って盛り上がっているということです。
酷な表現ですが、このことを受け入れられない限り、「自分」に対していつまでも盲目であり続けます。
少しでいいので考えてみてもらえたらと願います。