信神について考えていたら

今年引いたおみくじを見直していたら「信神」が気になりました。

「信神して~」
「神様を信じる心持ちを大事に~」
「神様の御心に背いた時、心に不安が伴う~」

などの言葉を見つめながら、これは神様の存在を信じるということで終わっていいのかなと、それであれば大体は信じているからお参りもしているし御神籤も引いています。

それに神様を信じていても自分が間違っていれば人生は進んでいきません。

信じるというのは依存ではなくて、自我と向き合う姿勢からもたらされるものなんですよね。

そういえば昔こんな事があったのを思い出しました。

何だか全然うまくいかないときに私は一人でがむしゃらに頑張っていましたが、そのうち限界を迎え、頑張るのを諦めたところ新たな風が流れてきた、という事です。

正直何もかもが嫌になって力を注げなくなっただけですが、でもそれこそが「信神」だったと今は言い表せる気がします。

「どうなってもいいや」と手放した自我が、結果的に神の御心(運命)に委ねたことになっていたと思うのです。

つまり信神するというのは、自分の力を手放す勇気、流れに身を任せる決断です。

私たちは自分一人の力で生きているのではありませんよね。

現実を頑張っていると自分の成果に目がいってしまいますし、そうすると一人で何かを成し得たくなるものですが、自分一人で何かを成し得るなんて無理なのです。

自分一人が努力し頑張っているようでも、誰かが黙ってサポートしてくれていることもあれば、目に見えないところではそれなりのエネルギーが流れています。

まさに私が諦めた時に新たな風が吹いてきたあれは、目に見えない運命を自分が止めていたかのようでした。

かといって自分が何もしないで恵まれていくこともありません。

ですから信神について考えていると、自分の運命もコントロールできないと知ること、

その上で自分自身の力も磨きつつ、柔軟に流れに乗っていくというバランスの取れた状態がこの言葉にまとめられているような気がしました。

例にあげた「神様の御心に背いた時、心に不安が伴う~」ですが、これはこんな感じの文章でした。

変わる此の世に変わらぬものは、神の心と日の光
(前略)しかし、ともすれば私共の心の方が神様から離れてしまう。神様の御心に背いてしまう。其の時、心に暗い影が差し、不安が伴う。されば邪心や迷いを捨て去り、一心に拝みなさい。

不安な時って確かに神様の御心に背いているからかもしれません。

自我が強まっていないか、一段上がって“清く正しく”振り返るに良い言葉をいただいたと思います。


元タロット占い師。家に居るのが好き、一人で作業に没頭するのが好き。タロットで一番惹かれるカードは、まさに「隠者」です。

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