受け入れるとは

自分の理想通り、完璧であるなら人間である必要はないのかもしれません。
そして誰にでも受け入れたくない自分がいるのではないでしょうか。
ある段階ごとにそういう自分が顔を出し、こんな自分の一面があったのかと気づき、これも自分なんだなと受け入れる。
こういった事が人の内面では繰り返し行われているかと思います。
受け入れるとは、ダメな自分も良い自分も純粋に受け入れるということです。
ですが思っている以上に「それは自分ではない」と突っぱねている事が多くあります。思っている以上に人は純粋ではなさそうです。
無意識にそうしていることもあれば、ダメな部分を分かっていながら見て見ぬフリをしていることもあります。
そして、「私はこういう人だから」と受け入れている姿勢は見せつつ、受け入れていない場合もあるのです。
「私はこういう人だから」と言うとき、表面上受け入れていながら深い部分では成長することを拒んでいないでしょうか。
例えば、私は出不精です。
「私は出不精だから」と言って買い物を家族に頼むばっかりでは逃げているのかもしれません。
出不精という観念をもった自分だからこそ、自ら率先して今日は自分で行ってみようとか、私も一緒に行こうとか、自分を動かすことが大事ですよね。
自分を受け入れるというのは、「私はこうなんです」と言って終わることではありません。
責任を放棄するのではなく、自分に責任を持つことです。
ですから本当に自分を受け入れているとき、どうすべきかの次の行動が見えてきます。
こういう自分だからやってみようかなとか思うものです。能動的になります。
自分を受け入れていれば必ず成長、改善、循環に繋がっていくでしょう。
そのようなこと全てを包括して許可すること…それが“自分を受け入れる”ではないでしょうか。
怖がらずに受け入れてみましょう。