あの人は本物か偽物か、あの占い師は偽物だったとかよく言いますよね。
本物か偽物かで言い表すのは簡単なので、利便性があって使われますが、もし偽物占い師や霊能者に引っかかったのなら、悪いのは偽物のほうだけではないのはご存知でしょう。
そこへ引かれた利用者も何か縁を感じたから惹かれました。
悪いサービスはないに越したことはないですが、そちらばかりなくなれと言うのもおかしな話。
それらのおかげで私たちの目も養われます。相手ばかりを責めるのでは同じ土俵にまだいるということです。
違和感のあるサービスは利用してはいけません。はたまた自分が飛びつくようなサービスも利用しないほうが身のため。飛びつきはしがみつきである事も多いからです。
直感は何でも瞬時に判断を下せるものじゃないです。
よく迷ったときに「こういうときは直感だ」と言ってイエスかノーかをすぐ決めようとする場面があったりしますが、お遊び的にはもちろんいいけれど、真面目に言うならばそんな都合よく正しい直感が得られるなら、もっと多くの人が正しい道に導かれているでしょう。
直感はなかなかデリケート。
私は数日寝かせないといけないこともあります。「分かるまで」忘れときます。
またよく言われる「ビビビ」は、エゴである事が多いです。
直感だととても優しい感じ。ふんわり。やんわり。なんとなく。。エゴが強いならば直感は弱いんですね。
今日まで霊能者、占い師、ヒーラー、龍をつけるなどの世界は金銭感覚がバグってると思います。さすがに万単位の値段設定はおかしいでしょう。
いずれも何を期待しているかというと自分が生きやすくするためだと思いますが、自己責任に帰還するところにいくら払ったって自分次第なのは変わりません。
求めていることがお金で解決できるようなものではないのに、それだけの価値があると言うのは疑問です。
では安価ならいいかというと、メルカリやココナラで数百円でやっているようなものも、そうする心理が何かしらあるということ。
選ぶなら打倒な線で選ぶのがいいですが、やらずに済むなら頼らなくてもいいものです。
霊視ではないものを霊視と言っていたり、嘘の鑑定結果を伝えてるというのなら偽物ですが、それに心を救われてしまった人は、この人は本物だったと言います。
逆に真っ当な能力があって、真っ当な事を伝えても、それに傷付いた人は本物の実力に偽物というレッテルを貼るでしょう。
ですから自分の感覚で見ていかなければいけない、それが自立です。
普段からどれほど信頼する人でも、自分の感覚や言葉に置き換えるようにすることはおすすめです。
よく分からない稼げちゃう占い師も、スピリチュアル情報を詰め込んで成り切り、なんか分からないエネルギーを享受して出来上がっています。
その人の話していることにはよく聞くスピリチュアルワードに溢れていないか、またそれを自分自身がちゃんと理解できているか。
自分の感覚と言葉にできないことが偽物と言えるのではないでしょうか。
そう考えてみれば、気安くあの人は本物だの偽物だの言えなくなるのです。
毎分毎秒自分は自分の感覚で過ごせているかどうか。”自分”を極めるというのは一生続くこと。大変なこと。
周りをどうこう言う暇があったら自分に集中する。
相手にされなければ偽物は生きていけませんから、這い上がるかさらに成り下がるか、そのようになっています。
そんな中淡々と”自分”を磨いている人だけが本物ではないでしょうか。