今からもう何十年も前のことですが、貴重な経験をしました。それが失恋です。
その失恋も今思えば断然それで良かったんですが、何が貴重だったかというと、失恋したことによって引き出した母の言葉が最高でした。
20歳くらいだったでしょうか。
ある日私が帰ったら、母はなにかしらの異変を感じ取り、振られた話を聞いてくれました。
その中で私は、悔しい気持ちと、別れたくない気持ちと、相手を恨めしい気持ちを話したと思います。
すると、母はこんなことを言ってまとめました。
「本当に好きなら相手の選択を尊重できる。相手の幸せを願える。あんたの好きは自分のことじゃないの。」
それまで泣いてたんですけど、涙止まりましたね。
こういう時こそ魂ら辺の反応がはっきり分かるんですよね。表面的にはすぐには受け入れられないことを言われているのかもしれないけれど、深いところではえらい納得している。むしろ感動している。
そういうことで、いつの時代になっても失恋は多くの人が経験していくと思いますが、全ては「相手を思う心」が大切になっています。
これができたらその学びはとりあえずクリアと言えるでしょう。
私自身、そのあとの若き恋愛でもまだまだ試練は続きましたけど、相手を好きでいる自分に固執するのを手放せただけでも、変化があったと言えばあったのかもしれない。
出会える人も変わっていきましたし、自分が成長すると流れが変わるのは、ここを読まれる方もきっとすでに経験済みなのではないでしょうか。
恋愛は相手あってこそ、相手の選択を受け入れられるようでなければ、愛でもないし好きでいる資格もありません。
相手に無下にされることを受け入れなきゃいけないんじゃないですよ。愛じゃないものは受け入れるに値しませんから。
でも大好きとか愛してるとか言っておきながら、自分の思う通りにならなくなったら相手を責めたり、恨んだり、コントロールするようじゃやっぱりおかしいんです。
悲しいかもしれないし、苦しいかもしれないけれど、どのみちうまくいく恋愛も結婚も「相手の幸せを願えること」がベースです。
それができずして、「幸せな」未来はあり得ないでしょう。
相手の幸せを願って手を引くことができるか。
そのために失恋は用意されているようにも思います。
相手の幸せを願えないなら、それ以上一緒にいても危険な体験となるだけです。
エゴが強すぎる色恋沙汰からも、さっさと身を引くのが身の為でしょう。それができたら苦労しないと思いますが。
始まったものはいつか必ず終わりの時がきます。まともな終わり方を選べますように。
でなければ、どんな終わり方となるのか運命のジャッジが下されますが、大体が人間のエゴで長引かせた負は重くのしかかってくる罪のようだと思いませんか。
終わりそうな恋愛、未来を感じない恋愛を無理にうまくいかせたり長引かせたところで、実のところ、本当に、なにもメリットがありません。
自分で自分を潰す前に、清く正しい心で判断ができれば、失敗に思えるようなことも成功しているのです。